「川柳VS俳句」2016/11/20 07:04

 夏井いつきさんと川柳作家の島田駱舟さんの対談「川柳VS俳句」に戻ろう。  駱舟さんは、夏井いつきさんの俳句<鶴食うてよりことのはのおぼつかな>の 「自句自解」を求める。 (実際に食べたわけではないんでしょう。) 「鶴」 の句をつくることになり、「写生」の最後に、この不思議な句にたどり着いた。  自分は、黒田杏子に師事し、その先は山口青邨、さらに先は高浜虚子という「写 生」の流れなので、現場に立っての句。

 川柳大会での題「夢」で、夏井いつきさんが選んだ川柳。 <夢は夢明日の パンを買いに行く>(音で聞いたので、表記は不確か。) 「夢は夢」で、ポン と切り替わる。 生活のリアリティがある、切々とした句。 川柳で、こうい う句ができるんだ。 昔、シングルマザーで、子供二人育てていた、貧乏だっ た頃のことが、よみがえってきた。 自分の人生と交わる。 (駱舟さん…川 柳は至近距離、俳句は遠い、冷たく感じる。火星と冥王星。)

 <ああそうかそうかと父は海になる>。 愛媛の片田舎の海で育った、父は 郵便局長で、就職した頃に亡くなった。 小学校から帰り、父が仕事が終わる と、伝馬船を泊めてあるところへ行き、海老で鯛を釣りに行く。 艫(とも) に父が座って、ショートホープをふかしながら、私に舟を漕がせていると、近 くの人が「局長さん、いいね。娘さんに舟を漕がせて」と声をかける。 それ が、小学生ながらに、嬉しかった。 そんな光景が、ウン十年巻き戻って来て、 好きな句。 (海は母。) 父の、父という存在の、何でも受け容れてくれる包 容力。 (川柳に共感すると、昔話になる。) この一句には、詩がある。

 (駱舟さん…俳句と川柳、同じ内容がある。 一茶の句<大根引大根で道を 教へけり>、古川柳に<ひん抜いた大根で道を教えられ>。) 「教へけり」、 切れ字でまとめた。 「教えられ」、ダラダラした感じ。 (俳句は、動きがな い、ひん抜いた状態。) (俳句は五秒の芸術、瞬間を切り取る。 川柳は、時 間の経過を詠める。 ダラダラがいい、ヨダレみたいに、愛情がある。)

 (俳句<広島は今も広島雲の峰>、川柳は<六十年ヒロシマはまだヒロシマ で>。 平成17年、戦後60年だった。 両方とも、その時の特選句。) 「雲 の峰」という季語の、お蔭様。 短詩系文学の根っ子は同じ。 (季語はお供 え、神様への。) 俳句は、季語の持っている力を信じている、ダラダラしゃべ るのを嫌う。

 (夏井いつきさんには『絶滅寸前季語辞典』(ちくま文庫)がある。) 集め ていて、十年で書き換える。 『歳時記』の時季のズレを修正しようという意 見があるが、反対。 陰暦には、昔の文化と生活がパッキングされている。 「ス テテコ」は、今やカラフルなものが某衣料メーカーから出ている。 「隙間風」 は、建具メーカーの努力で無くなっているが…。

 「調べ」、切れのない「調べ」もある。 (川柳はリズムと言う。) 字余り は当り前、テクニック、内容がぴったりだと思えば、やる。 俳句は文字とし て読む。 今日、川柳の発表を聞いていて、俳句は耳で味わうことを忘れかけ ていると思った。 聞いただけでは伝わらないものがある。 俳句の世界も、 それを取り戻さないといけない。 (川柳は耳から聞く。 披講をおろそかに しているのでは…。 リズムは大事で、破調はなくなる。)

 俳句も、川柳も、地続きだと思っている。 作った人が、俳句と言えば俳句 も川柳と言えば川柳になる。 “詩のカケラ”があるかが、俳句の砦だ。 詩 を発生させるメカニズムは一緒だ。 (レトリック、発見。 俳句と川柳を区 別する必要はない、本人の気持次第。) 「サラリーマン川柳」に、“詩のカケ ラ”はある? (個性だ。) 俳都松山宣言2016「十七音が景色を変える」、「十 七音があなたの世界を変える」こころざしで、俳句の楽しみ方を発信している。