荻原浩さんの「海の見える理髪店」前半2016/08/02 06:09

 先日第155回の直木賞を受賞した荻原浩さんの『海の見える理髪店』(集英 社)を読んだ。 近所の本屋にいったら、宣伝用の一冊が飾ってあって、ほか になく、看板だけどいいかと訊いたら、いいというので買った。 3月30日発 行の第1刷。 荻原浩さんは、2007年に朝日新聞夕刊に連載した『愛しの座敷 わらし』を読んで知っていた。 食品会社に勤める父親が左遷され、東京から 岩手の古民家に引っ越した家族の物語だった。 夫婦に、中2の娘、小4のぜ んそくの息子、認知症の始まった母親がいる。 築200年、囲炉裏や裏庭に祠 のある家と、周囲の人々や環境になかなか馴染めない一家だが、息子を皮切り にして、おかっぱ頭で紺絣の小さな男の子が見えるようになると、次第に元気 を取り戻していく。 家族とミステリアスな味付けが得意な作家なのだろう。

 表題作で直木賞受賞作の「海の見える理髪店」、「ここに店を移して十五年に なります。」と始まる。 海辺の小さな町にある理髪店を、ひとりできりもりし ている店主が、予約して遠くからやって来た客に語りかける。 時代遅れの洋 風の民家を店に改装したものらしく、花のない庭には、支柱も鎖も赤く錆びつ いたブランコが置き忘れられていた。 自慢は置く場所も大きさも工夫したと いう鏡で、その鏡いっぱいに海が広がっている。 秋の午後の水色の空と、深 い藍色の海。 二つの青が鏡を半分に分けている。

 任せるというと、とんでもない、ちゃんとご相談のうえで切らせていただき ます、といい、仕事の柄をきく。 グラフィックデザイナー。 後頭部の髪が 櫛でぐいっと引き上げられる。 毛根がつっぱるほどの力だ。 逆撫でされた 髪が、しゃきんという音とともに切られ、櫛から解放される。 むず痒いよう な快感だった。 ぐいっ、しゃきん。 床屋というのは、こんなに気持ちのい いものだったっけ。 店主の腕のせいだろうか。 雑誌の記事では、かつては 東京で腕に惚れた大物俳優や政財界の名士が通いつめていた理髪店だったそう だが、去年、常連だった大物俳優が亡くなった時に、東京から離れた海辺の小 さな町で店を続けていると噂になった。

 店主は饒舌だった。 東京下町の床屋の三代目、十一、二の頃から床の髪掃 除をさせられ、中学に入る頃ようやくバリカン刈りを任せられた。 中学二年 で終戦、絵描きになりたくて、ヤミ屋や看板屋の見習いをしていたが、美術学 校に入れず、どうにもならなくて、十八で親父が再開していた床屋に頭を下げ て戻る。 親父が死んで、二十そこそこで店を背負うと、自分に猛特訓を課す。  減った客が戻ったのは慎太郎刈りの流行、昭和三十年代は床屋にとっていい時 代で、女房を貰ったのは、店にテレビを置いた年。 だが昭和四十年代初めに ビートルズが来てから、床屋が左前になった。 髪が伸びたら、男はみんな床 屋へ行く、その当たり前をぶちこわした。 うちも例外でなく、酒を飲んでは、 女房に手をあげるようになり、やがて女房の姿が消えて、秋田から離婚届が送 られてきた。  (あらすじを書き始めたら、止まらなくなった。 もうしばらく、お付き合 いをいただく。 続きはまた、明日。)