自由民権運動の挫折と馬場辰猪の悲劇2016/08/09 06:21

 馬場辰猪にとって明治14年はどんな年だったであろうか。 この年、馬場 の行動半径は東京を越えて地方に広がり、自由民権の理念をひっさげた彼は、 はげしい日程の講演旅行を続けたのである。 そして馬場の精力的な活動はし ばしば藩閥政府の権力と衝突した。 「学術講演」から「政談演説」に移行し てきた馬場辰猪は、民権家としての個人的運動から全国的なひろがりを持つ運 動への参加へと発展する必然性を持っていた。 それまで自由党にいたる全国 的な自由民権運動と直接のかかわりを持たなかった馬場は、自由党の結党大会 に参加し、その指導部に名をつらねることによって自由民権運動の最前線に躍 り出た。

 前にちょっとふれたように自由党は、それまでの馬場の知的生活圏にいた 人々によって構成されてはいなかった。 明治14年の政変によって政府を追 われた旧知の人々は、翌15年大隈の下に結集して改進党を組織した。 改進 党に馬場が参加しなかったのは、この時期までに、藩閥政府の権力とのあらそ いを通じて彼がかなりラディカルな線まで進んでしまっていたからという事情 のためと考えられる。 ここに馬場辰猪の悲劇があった。 一生「民衆のため に」働くことを決心してしまった彼は、帰国前のロンドンでのあの「ためらい」 が、ここに現実となってあらわれてくるのをみた。 自由党の結党大会で副議 長をつとめた馬場辰猪は、『自伝』の中で、そこに参集した多くの「無智な人々」 や「ヨーロッパの流儀」をふりまわすと彼を非難した人々について、「馬鹿馬鹿 しさと無智蒙昧のほどは、ことばに尽くせなかった」と書いている。 ここに は紳士といわれた西洋派知識人の日本的政治への参加という問題が浮かびあが る。

 「明治14年の政変」によって危機を乗り切った藩閥政府は、きたるべき明 治23年の国会開設期をめざして、周到な準備と着実な努力をかさねていた。  明治15年5月伊藤博文を中心とする使節団が憲法調査のためヨーロッパに出 かけて成果をあげたのはその好例である。 一方、自由民権運動の側では15 年4月改進党が結成され、漸進主義の第二党が生まれた。 しかしながら、国 会開設要求という運動が、その公約を獲得するということで一応の目標を達成 してしまうと、運動の内部でかなりの問題が生れはじめた。 自由党では党主 板垣退助の外遊問題が起った。 これは明治15年8月の末のことであり、党 結成後わずかで党主が党と国とを一年近くも離れることに反対した馬場辰猪は 板垣と激突した。 馬場の持っていた危機意識は、藩閥政府と自由民権運動と の真の闘いは実は国会開設の詔勅の発布された明治14年10月にはじまったと いうものであった。 しかし板垣は外遊し、馬場辰猪は1年たたないうちに自 由党をはなれる“はめ”におちいった。

 明治15年1月、自由党党主板垣退助が後藤象二郎と携えて外遊の途につい た頃から、自由民権運動は、馬場の恐れていたように、急速な弱体化をみせた。  それは板垣の外遊問題が発端となって、自由・改進の両党が共同の敵であるべ き藩閥政府の存在を忘れたかのように、非難と中傷を投げ交わす泥試合を開始 したからである。 さらに板垣は明治16年6月帰国するが、その帰国歓迎会 で自由党は解散したほうがよいと述べて、ひとすじの望みを板垣にたくしてい た馬場を裏切ってしまう。 この解党問題はくすぶりつづけた後、明治17年 10月決定されるが、これは藩閥政府の抑圧と不満を持った過激派の党員による 各地での蜂起や暴動が主な原因であった。 改進党も明治17年11月実質的に は消滅してしまった。

 このように自由民権運動は挫折してしまった。 馬場辰猪もまたそれによっ て深い傷を受けたのである。 のこされた路は一つ、藩閥政府の圧迫と干渉の 及ばない国外で、自由民権の理念を説く亡命の旅だけであった。

 馬場辰猪の場合、自由民権運動の現状と近い将来に対する断念が、隠退や転 向につながることはあり得なかった。 しかもその断念は福沢のように長期の 視点から、教育の機能に挺身したり、中江兆民のように、しばらく仏学の中に とじこもる方法をとることではなかった。 結局、馬場の悲劇は自分に執しす ぎる不器用さにあった。 彼が自分の没入している自由民権運動を越えたとこ ろに視点を設定してみるというような精神的態度とは無縁であったことは、そ の『自伝』があきらかにつたえるところである。 旧師福沢の『福翁自伝』の 持つ面白さは、そうした「自己と自己を取巻く状況から超越した眼」に由来し ている。 そしてアメリカ亡命中の馬場に思いをはせた論説を起草したのも、 馬場がフィラデルフィアで客死したとき、もっとも美しい追悼の文章を書いた のも、恩師福沢諭吉だったのである。

 (萩原延壽著『馬場辰猪』の1968(昭和43)年の読書覚書、「馬場辰猪と福 沢諭吉」終)