田中彰さんの「私の明治維新」[昔、書いた福沢205]2020/01/28 07:03

     明治維新は、いつからいつまでか<小人閑居日記 2004.3.14.>

 岩倉使節団やその米欧回覧実記の研究で名前は知っていた田中彰さん(北海 道大学名誉教授)が、「私の明治維新」と題し朝日新聞の夕刊に5回にわたって 連載した。 その最終回の始めに、これまで一口に「明治維新」といってきた が、ではその維新はいつからいつまでなのか、というと、内容にからんで見解 は分かれる、とあって驚いた。 そんなことは考えてみたこともなかった。 「明 治維新」は、明治新政府になってからのことだろうと思ってからだ。

 田中彰さんによれば、維新は、幕藩体制が崩れはじめた1830代の天保期 にはじまるという見方もあれば、嘉永6(1853)年のペリーの「黒船」来 航からだという説もある。 いつまでかの方は、慶応3(1867)年、幕府 が倒れたことを一区切りにみる意見もあれば、明治4(1871)年の廃藩置 県によって統一国家ができたときだとする見解もある。 さらには明治12年 のいわゆる「琉球処分」までを加えて考える意見(田中さんはこれらしい)も あるという。 要するに、「近代化の内実」にどう着目するかに、かかっている らしい。

 ここまで書いて、昔「外人にもわかる「明治維新」」という「等々力短信」を 書いていたのを思い出した。(昭和60(1985)年3月5日・第349号)   そこには桑原武夫さんが『明治維新と近代化-現代日本を産みだしたもの』(小 学館)で、世界で通用し、これから近代化する国の参考にもなるようにと、明 治維新をこう定義したと書いていた。 「世界からの接近(アプロ-チ)を謝 絶し、鎖国して独立を守ってきた日本民族は、およそ 250年の平和のうちに 高度の国民文化を形成、普及せしめたが、19世紀半ばに国際的力関係から開 国の避けられぬことをさとり、自主的に大胆に西洋文明をとり入れて、近代国 家をつくるために一つの文化革命を行った。 これが明治維新である」

        アジアと世界の「明治維新」<小人閑居日記 2004.3.15.>

 田中彰さんの「私の明治維新」だが、一番最後に「明治維新=日本近代化」 という等式が出てくる。 「いつから、いつまでか」というのも「日本の近代 化」と言い換えれば、納得がいく。

 田中さんは、「明治維新」は多くの改革の正の側面を結実させたが、「富国強 兵」をかかげて国民の人権よりも国家が優先され、十年ごとに大陸での戦争を 繰り返し、太平洋戦争の敗戦で「近代の破産」という負の結果となった、とい う。 「日本の近代化」のプラスの面とマイナスの面とを合わせ、事実を直視 しながらトータルにとらえる必要がある。 戦争を放棄した日本国憲法によっ て、その後、日本は一度たりとも戦争に手を染めていない。 この重い事実の 上にたち、この憲法の平和主義の精神を全世界に向かって主張し、広げ、生か すことが、明治維新の負の側面を克服することになる。 アジアのなかで、世 界史の上で、「明治維新」の意義が、改めて問われるゆえんは、そこにある、と 田中さんは言う。