「マヽヨ浮世は三分五厘」[昔、書いた福沢197]2020/01/20 07:09

      「マヽヨ浮世は三分五厘」<小人閑居日記 2003.12.31.>

 「マヽヨ浮世は三分五厘」という言葉は、よく引用される福沢諭吉の手紙に 出て来る。 明治8年4月24日付、旧中津藩上士の島津復生宛。 『文明論 之概略』の写本を贈り、「此書は昨年三月の頃より思立候得共、実は私義洋書並 に和漢の書を読むこと甚狭くして色々さし支多く、中途にて著述を廃し暫く原 書を読み、又筆を執り又書を読み、如何にも不安心なれども、マヽヨ浮世は三 分五厘、間違たらば一人の不調法、六ケ敷事は後進の学者に譲ると覚悟を定め て、今の私の智恵丈け相応の愚論を述たるなり」と書いた中の一句である。

 この「マヽヨ浮世は三分五厘」だが、ずっと「さんぶごりん」と読んでいた。  こんど出た『福沢手帖』119号に、進藤咲子東京女子大学名誉教授の書かれ た「福澤諭吉書簡から この一句、この一節」を読んで、頭をブッ叩かれるよ うな思いがした。 「さんぷんごりん」なのだという。 「三分(さんぷん)」 は銀貨一匁の十分の一、「五厘」は一分(いっぷん)の二分の一。 「浮世は三 分五厘(さんぷんごりん)」は慣用句で、多く「浮世三分五厘」の形で用い、そ れほど値打ちのないこと。 「分(ぶ)」と読む場合、一分(いちぶ)は一両の 四分の一、一朱の四倍に相当する金貨である。 銀一分(いっぷん)は一両の 六百分の一に相当するから、「三分(ぶ)」と読むと、「三分(さんぷん)」の1 50倍もの大金になってしまって、まったく意味をなさないのだ。 年末にあ たり、無学を恥じ、深く反省しながらも、「マヽヨ浮世は三分五厘(さんぷんご りん)」を三度唱えたのであった。