地球温暖化は炭酸ガスでなく太陽活動が原因とする説 ― 2008/08/01 08:06
そこで私の疑問、2008年の現在は寒暖の歴史700年周期のどのへんにある のか、という問題である。 『シリーズ私の講義(4)西岡秀雄集』(昭和42 (1967)年・大門出版)の122頁に「寒暖700年周期年表(西岡秀雄原図)」 という図がある。 紀元前38世紀から、西暦20世紀2000年までのグラフに、 暖の8つの山が描かれ、19世紀に寒の底にあった曲線は20世紀で上昇に転じ たところで終わっている。 このグラフを延長すると、つぎの暖のピークは23 世紀のあたりに来ることになる。
西岡秀雄先生は、『気候700年周期説 寒暖の歴史』(好学社・昭和47(1972) 年第19版)で、近年の気温上昇現象についても詳述している。 そして、「気 候700年周期」の原因を、太陽活動に内在するエネルギーの周期にある、と考 えている。
西岡先生は既に同書で、原因としての「炭酸ガス説」を検討している。 「炭 酸ガス説」は、産業革命以降、人類が石炭や石油を多量に燃焼したために、空 中に炭酸ガスが蓄積された結果だとみなす学者の提唱だと、紹介されている。 そして、「炭酸ガス説」の弱点を列挙する。 (1)今(20)世紀より暖かかっ た西暦8,9世紀や15,16世紀の暖期はなぜ生じたか、説明できない。 (2)西 暦12世紀や18世紀頃の寒冷期がなぜ訪れたか、説明できない。 (3)人気 の全くないような南北極地の氷厚が薄くなったり、氷河が後退している事実に ついても、説明しにくいだろう。 (4)地球だけでなく、火星の極冠(Ice cap) も縮少が近年観測されていること。
地球温暖化の太陽活動原因説については、2005年9月24日に福澤諭吉協会 の土曜セミナーで、神奈川大学前学長・桜井邦朋さんの話を聞いて、この日記 に書いたことがあった。(「太陽活動と地球温暖化」<小人閑居日記 2005.9.26.>) http://kbaba.asablo.jp/blog/2005/09/26/
田中宇さんの国際ニュース解説 2008年4月22日[地球温暖化問題の裏側 ] も、太陽活動説の方が説得性があるとして、2007年から太陽活動が縮小期に入 っており、寒冷化が始まっているという学者の説を紹介していた。
小人閑居日記 2008年7月 INDEX ― 2008/08/01 21:37
3924 福祉先進国ニュージーランド<小人閑居日記 2008. 7.1.>
3925 歌奴を継ぐ歌彦の「谷風情相撲」<小人閑居日記 2008. 7.2.>
3926 三三の「万金丹」<小人閑居日記 2008. 7.3.>
3927 昇太の「茶の湯」<小人閑居日記 2008. 7.4.>
3928 正雀の「音曲質屋」<小人閑居日記 2008. 7.5.>
3929 扇遊の「三年目」<小人閑居日記 2008. 7.6.>
3930 三田完さんの『乾杯屋』<小人閑居日記 2008. 7.7.>
3931 「女王様」の万能薬<小人閑居日記 2008. 7.8.>
3932 本好きに教わった本<小人閑居日記 2008. 7.9.>
3933 慶應女子高の一期生<小人閑居日記 2008. 7.10.>
3934 懐かしい店の名と映画<小人閑居日記 2008. 7.11.>
3935 三年の恋の果てに<小人閑居日記 2008. 7.12.>
3937 「青田」と「百合」の句会<小人閑居日記 2008. 7.13.>
3938 「青田」と「百合」の選句と添削<小人閑居日記 2008. 7.14.>
3939 『篤姫』を見ながらの夫婦の会話<小人閑居日記 2008. 7.15.>
3940 『KAZARI』展からの周遊<小人閑居日記 2008. 7.16.>
3941 『俳諧』は「だじゃれの言い合い」<小人閑居日記 2008. 7.17.>
3942 「貞門」から「談林」へ、そして「芭蕉」誕生<小人閑居日記 2008. 7.18.>
3943 和歌と並ぶ芸術の域に達す<小人閑居日記 2008. 7.19.>
3944 遅れてきた朝顔市<小人閑居日記 2008. 7.20.>
3945 「蘇民将来之子孫也」<小人閑居日記 2008. 7.21.>
3946 まり千代さん<小人閑居日記 2008. 7.22.>
3947 銀座の表裏を毎日歩いていた<小人閑居日記 2008. 7.23.>
3948 秋、三遊亭兼好になる好二郎の「一分茶番」<小人閑居日記 2008. 7.24.>
3949 桂吉弥の「池田の猪買い」<小人閑居日記 2008. 7.25.>
短信 3950 『当マイクロフォン』<等々力短信 第989号 2008.7.25.>
3952 志の輔の「三方一両損」<小人閑居日記 2008. 7.26.>
3954 桂藤兵衛の「源太の産」<小人閑居日記 2008. 7.27.>
3955 権太楼の「家見舞」その前半<小人閑居日記 2008. 7.28.>
3956 権太楼の「家見舞」その後半<小人閑居日記 2008. 7.29.>
3957 西岡秀雄先生の『気候700年周期説』を探す<小人閑居日記 2008. 7.30.>
3958 『寒暖の歴史 気候700年周期説』<小人閑居日記 2008. 7.31.>
氷河期から縄文までも気候変動 ― 2008/08/02 05:41
7月9日、10日、12日の朝日新聞朝刊文化欄に「歴史に探る気候変動」(渡 辺延志記者)という連載があった。 地球温暖化対策の手がかりや視点を歴史 の中に探ろうとするいろいろな分野の最近の研究を紹介し、過去に気候はどう 変化してきたのか、人間や社会はそれにどう対応してきたのかを、概観してい る。
10日の〈上〉では、西岡秀雄先生が「寒暖700年周期年表」で扱った紀元前 38世紀より前の、氷河時代(旧石器時代)から縄文時代まで約7万年間の気候 の推移を研究した信州大の公文富士夫教授(地質学)が、まず紹介される。 長 野県・野尻湖の湖底堆積物に含まれる樹木の花粉を分析する。 氷河時代は寒 暖の変動を繰り返し、なかでも縄文に移行する1万数千年前は振幅が激しく、 100年で7度ほど気温が上昇したこともあったらしい。 古代にも温暖化はあ ったのだ。 縄文に入ると、基本的に温暖な状態で安定した。
マンモスの研究に取り組む滋賀県立琵琶湖博物館の高橋啓一総括学芸員によ ると、北海道で出る化石から、マンモスが4万5千年~3万5千年前、2万5 千年~1万5千年前の二つの時期(寒期)に、ナウマンゾウ(温暖な落葉広葉 樹林帯に住む)がその間の3万年前の温暖な時期にいたことがわかる。 マン モスの絶滅をめぐっては、「人間の過剰な狩りが原因」という考えが長く支配的 だったが、近年では温暖化説が力を得ている。 最後とされるマンモスは北極 海で見つかっている。 人間のせいでなく、気候変動で環境が変化し生きる場 を失ったという見方だ。
太陽活動が歴史に影響した ― 2008/08/03 07:58
「歴史に探る気候変動」の記事にも、太陽が登場する。 環境変動の歴史を 研究する遠藤邦彦日本大教授によると、太陽エネルギーを地球がどう受け止め るのか、地軸の傾きや軌道変化という点から研究が進み、10万年単位など三つ の周期が判明していて、そうした周期を重ね合わせることによって、氷期と間 氷期(温暖期)のサイクルは説明できるという。
福澤諭吉協会で講演を聴いた神奈川大の桜井邦朋名誉教授(宇宙線物理学) も記事に登場し、近世の寒冷期「小氷期」研究の先駆者と紹介されている。 米 航空宇宙局(NASA)に勤務していた1975年、太陽の活動が17~18世紀に弱 まったとの米研究者の講演を聴いて驚き、ガリレオが残したスケッチをもとに 太陽活動を分析し、歴史書を調べ、研究の成果を出版してきた。 フランス革 命の導因は寒さで麦が不作だったことや、ナポレオンが攻め込んだ当時のロシ アは今より寒さが厳しかったことなどを紹介したという。
日本の中世社会を研究する大東文化大の磯貝富士男教授は5月、鎌倉幕府誕 生にいたる武士の勢力の拡大は、気候の変調と農業生産低下が背景にあったと 論文をまとめた、という。
江戸時代後期、茨城の古河の殿様、土井利位(としつら)が顕微鏡で雪を観 察し、大坂城代だった1835(天保6)年には、わずか2日間で29種もの雪の 結晶を記録した。 鎌倉時代から寒冷化が始まり、なかでも江戸時代は寒かっ た証拠だ、という。
この最近の研究動向の紹介記事を読んで、西岡秀雄先生の研究『寒暖の歴史 気候700年周期説』の先見性に、あらためて驚いたのであった。
好奇心の泉源、雑学の模範 ― 2008/08/04 06:30
「等々力短信」や「小人閑居日記」には、好奇心のおもむくままに、広く、 浅く、いろいろなことを書いてきた。 雑学とでもいうか。 その起源の一つ に、西岡秀雄先生の影響があるのかもしれない、と思う。
ともかく実際に見聞し、体験しろということで、「文化地理研究会」(「モンチ」 といっていた)は大学4年間に日本一周ができる旅行を実施していた。 私も 行っていない場所の回は参加して、山陰・山陽、北陸・佐渡、岐阜・高山、東 北などに行った憶えがある。 世界各国の料理の食べ歩きの会もあった(これ はほとんど参加していない)。 自分達が担当した時は、お酉様や羽子板市、ボ ロ市など、都内の年中行事を見て歩いた。 三田祭には、銀座の実態調査、公 園の調査、すしや・そばやから見た東京の発展などの研究をした。
西岡先生は、膨大なスライドや録音などの研究資料を整理保存しているほか、 例えば世界各国のトイレットペーパーなどの現物をたくさん収集していた。 のちにトイレットの権威として世に知られるようになった。
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