『福澤諭吉事典』を喜ぶ<等々力短信 第1019号 2011.1.25.> ― 2011/01/25 06:47
昨年10月、慶應志木会の『歩こう会』「港区東部の史跡巡り」で、麻布善福 寺の福沢諭吉の墓へ行った。 墓所の右手前に小さな墓石があって、これは何 かと訊かれたが、わからなかった。 後日、確かめに行った。 福沢の墓を向 いた正面に「高仲熊蔵 は○ 墓」、側面に「熊蔵 万延元年二月二日生 明治四十 年十月二十七日歿 はな 大正六年四月十五日歿」とあり、裏面に何か書いてあ るが読めない。 高仲熊蔵 はな 夫妻とは、どんな人物か。 『福澤諭吉全集』 『福澤諭吉書簡集』『福澤手帖』8を調べて、ようやくわかった。 高仲熊蔵は 「萬蔵」と呼ばれて、長く福沢家に勤めていた信頼の厚い家僕だった。 はな は、諭吉の長女里(戸籍名さん)が中村貞吉に嫁す時に雇って連れて行った忠 実な女中で、貞吉の死後、里と一緒に福沢家に戻り、後に高仲熊蔵と結婚した。 2月3日の福沢命日に善福寺へ行かれたら、この小さな墓石をぜひご覧下さい。
福沢生誕175年を記念して、昨年暮クリスマスの日に刊行された『福澤諭吉 事典』では、高仲万蔵(熊蔵)も、高仲はなも、索引から一発で出て来る。 I 章《生涯》7〈日常と家庭〉「福沢家を支えた人びと」の中に「高仲万蔵」の見 出しがある。
『福澤諭吉事典』をパラパラやっていると、事程左様に、『西遊記』の孫悟空 の気分になる。 觔斗雲に乗って、十万八千里をひとっ飛びしたつもりになっ ても、お釈迦様の手の内にいるという、あれである。 高校生の頃から福沢を かじって50年余、いろいろなことを耳学問したつもりになっていた。 今ま で「等々力短信」に書いたことでも、901号「福沢さんの落語」など、それま で聞いたことがなかったと思っていたのが、ちゃんと「落語と講談」という見 出しがあった。 福沢の新作落語「鋳掛(いかけ)久平(きゅうへい)地獄極 楽廻り」に言及し、地獄にも文明開化が到来する話だとある。 演説館で三遊 亭円遊が演じたらしいということは、初めて知った。
私が福沢の魅力にはまったのは、その「ことば」だった。 好きなのを選ん で「福沢諭吉いろはがるた」を試作したこともある。 『事典』V章《ことば》 は、人間、文明、社会、学問、教育、実業、立国、処世の八つに分けて、福沢 の「ことば」を精選し、解説している。 3社会の最後で、福沢心訓が偽作で あることにも触れている。
残念なのは、ジョン・ヒル・バートンは五か所に出て来るが、その長男で「明 治日本の水道の先生」W・K・バルトンが、まだ見つからないことぐらいだ。
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