幕末の昼夜金三両という値段2011/01/31 07:17

 Aランクの遊女揚代が、昼夜金三両、夜斗(だけ、という意味だろう)金壱 両弐分という。 そこで、幕末の金1両がどのくらいの金額になるかが、問題 だ。 これが、なかなか難問である。

 当時のお金には、金建て、銀建て、銭建ての三系統があった。 金建ては、 1両=4分=16朱という四進法で、小判のほかに、小粒金・小粒・分判(ぷん ぱん)と呼ばれる、二分判(二分金)・一分判・二朱判・一朱判の金貨を使う。  銀建ては、匁・分(ふん)の十進法で丁銀・豆板銀(小粒銀)という、重量を 計って使う秤量貨幣だったが、のちに一分銀・二朱銀・一朱銀などの定位貨幣 も造られた。 銭建ては、文(もん)の十進法で、一文銭・四文銭の銅貨・鉄 貨・真鍮貨を使う。

 榎本滋民さんは、落語鑑賞には、金1両=銀60匁=銭6貫文(6,000文)= 米1石と覚えておけば、たいしたあやまりは生じないと言っている。 裏長屋 の店賃は、500・600文から1分、ごく高いのが1分2朱、ごく安なら300文 だったから、ちょっとした職人なら、2~3日の稼ぎでまかなえた。 職人の手 間賃は、文化文政から天保にかけては銀3匁(=銭324文の計算)前後だが、 幕末には5匁5分に上昇したという。 金1両を稼ぐのに、20日~11日かか ることになり、金3両は幕末の月収ぐらいになろうか。 杉浦日向子さんの本 に、〈来月の分だと茶屋に五両おき〉という川柳があるが、それは安い方で、一 流の花魁になると百両で三日もてばいい方だ、とある。

 ネットを検索すると、幕末豆知識11:金1両の価値(1両で買えた米の量、現 在のお金にすると?)というのを書いてくれている人がいた。 『大江戸もの しり図鑑』『米価変動史』『会津藩の崩壊』という本の数値から計算したという。  金1両で買えた米の量は、幕末前は1石(1,000合)・150キロ・一人当たり 200日分・現在の4万円〈よくみかけるのは金1両=6万円〉だったのが、文 久3(1862)年(江戸)では0.4石(400合)・60キロ・一人当たり80日分・ 現在の1万6千円〈2万4千円〉に、慶応3(1867)年末(大坂)では0.086 石(86合)・12.9キロ・一人当たり約17日分・現在の3,440円〈5,120円~1 万円〉に、物価が高騰、つまり価値が下がっているという。

 金三両、幕末前だと12万円~18万円、幕末でも5万円~7万円になろうか、 芸者を揚げて飲み食いをすると、倍ぐらいの勘定になったのだろう。 けっこ うなお金だったことがわかる。

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